在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

山を仰いでいます

1月7日、遠くの雪山が輝いていた仙台です。

 

仙台の場合、蔵王や船形連峰といった雪山を

中心部から拝むことは難しく、郊外からその姿を

探すことになります。書き出しも、高台にある

我が家の近所からの風景をもとにしたものです。

北部の泉区であれば、平地からでも

千メートル級の「泉ヶ岳」を

すぐに眺めることができますが、

仙台の街中で「山」はあまり

身近ではありません。

 

その点、岩手山を望む盛岡や、

立山連峰の迫る富山といった、

「山」の存在を近くに感じられる都市というのは

何とも魅力的に思えます。

富士を仰ぎ見る静岡、

桜島のそびえる鹿児島も然りでしょうか。

 

災害のリスクもありますが、

常に自然物を見上げる環境に身を置くというのは、

人間として、

より謙虚に生きられるような気がするのです。

 

(あ、決して関東平野にどうこう言いたいわけでは)

 

なお…

山だ自然だと書いておきながら、

今日の私はそんな価値観と真逆のような過ごし方です。

 

車で郊外(山と逆方向)のイオンモールに出かけ、

初売り後の売りつくしセールを満喫し、

多少の散財をして憂さを晴らしたのでした。

 

ビバ乱開発!ビバ大量消費社会!

…と言いたいわけでは無いにせよ、

結局しっかりと恩恵に預かっております。

 

そんな実態の私が、

山を仰げよ、大地を褒めよと叫んでも、

まるで巨大な駐車場の片隅に掲げられた

「木を植えています」のようなもので。

 

…いや、イオンさんは実際に植林活動に

長年力を入れ、環境再生に寄与しているので、

この持ち出し方は不適切です。

www.aeon.info

 

 

それに、私が言いたかったのは、

「言行一致を徹底せよ!」という話ではありません。

 

むしろ逆で、

理想や哲学は確かにありながら、

それとかけ離れてしまう自分のことを

素直に認めてあげたいな、ということです。

 

言っていることとやっていることが違う、

と批判されることもあるかもしれませんが、

では実際の行いに合わせて自分の信念を

歪めてしまうこと

(「これは必要悪だから」みたいな言葉が典型ですね)、

あるいは理想にそぐわない自らの行動を

否定し続けること、

いずれにしても「つらい」し「もったいない」と、

聖職者とは程遠い私は思うのです。

 

 

今日も私は、

大量消費社会に肩まで浸かりつつ、

山を仰いでいます。