在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

言葉は万能にあらず

8月21日、日差しの強かった仙台です。

この土日はアイドルグループの

大きなコンサートが行われていたのですね。

仙台駅では、紫色を身に纏った人たちを

大勢見かけました。

 

私にも夢中で応援できるような「推し」を

(できれば芸能界に)欲しいのですが…

という話は別の機会にするとして、

今日は読んだ本の話です。

三木那由他さんの

『言葉の展望台』という本を読みました。

 

bookclub.kodansha.co.jp

 

三木さんは言語哲学を専門とされています。

日々の生活にありふれた

「言葉」によるコミュニケーションについて、

哲学の知見をもとに紐解き、

普段見過ごされがちな意味や違和感を

掘り下げていくエッセイです。

 

このところ、

延々とコミュニケーションについて

悩んでいます。このブログでも

似たような話を繰り返している通り、

なかなか結論には達しません。


特に、自らが発する言葉や態度の暴力性を

どのように制御すれば良いのか、

そもそもどうして望まざる結果を招くのかを

ぐるぐると考えてきたのですが、

本書は冒頭から、

問題の所在の手がかりを示してくれました。

 

印象に残った記述は多いですが、

特に全体を通じて、「言葉」という

コミュニケーションツールの不完全さというか、

伝わりにくさについて改めて気付かされました。

 

物書きという仕事を選んでいる辺りからも、

言葉の持つ力に、

期待を持ち過ぎているのかもしれません。

 

言葉は本来「伝わりにくいもの」で、

受け手との関係性や受け取られ方により

(時に意味が変質して)

コミュニケーションが「成立」してしまう

性質をはらんでいること。

 

言葉を扱う仕事をしているからこそ、

肝に銘じたほうが良さそうです。