在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

白河以北

8月22日、快挙に湧いた仙台です。

夏の甲子園勝戦宮城県代表の

仙台育英高が下関国際高に勝ち、

春夏通じて東北勢初の優勝を飾りました。

 

コロナ禍なので、

楽天イーグルスが日本一になった時ほどの

大騒ぎはできないですが、

街はそれなりのお祭り騒ぎでしたね。

 

今日は県民として、いち野球ファンとして、

喜びと感動の余韻に浸りたいと思います。

 

kahoku.news

 

今回は優勝旗の「白河の関越え」、

という言葉が注目され、連呼されました。

東北の人にとっては多かれ少なかれ、

胸を熱くする言葉なのですが、

他の地方の感覚からすると、

「?」なニュアンスかもしれません。

 

白河の関は、文字通り、福島県白河市

かつて存在した街道の関所です。

関所というと戦国〜藩政時代を思い浮かべる方も

多いかと思いますが、実際に白河が関所として

機能していたのは、東北の先住民たちが

蝦夷(えみし)」と呼ばれ征伐の対象だった

平安時代中期までとされています。

要は、防衛拠点だったわけですね。

 

東北が「異国」ではなくなり、

とっくに忘れ去られてもいいような古い関所が

今もなお象徴的に用いられる背景には、

東北地方につきまとう、未開で後進的といった

ネガティブなイメージや、そのことを無意識的に

内面化してきた東北人のマインドによるところが

大きいと思われます。

 

典型的なものとして知られるのは、

仙台市にある東北最大の地方新聞社、

河北新報社」の社名です。

創設当初の明治時代には、

西南(九州)に比べた東北の経済的な価値の低さを

揶揄する「白河以北一山百文」という

フレーズがありました(元の意味は諸説あります)。

当時の創設者は、東北地方を揶揄する言葉から

あえて「河北」の二文字を新聞の題名に取り、

東北の発展(見返してやろう、という気概)を

期したとされています。

 

明治期の東北と言えば、戊辰戦争の影響もあり

西日本に比べると近代化が遅れ、

昭和に入っても、高度成長期にかけての

東北訛りの「田舎者」イメージも相まって

(アニメ『いなかっぺ大将』は私も好きでしたが…)

東北人の内なるコンプレックスは根深く

残り続けてきたのではないでしょうか。

 

今回の仙台育英高の優勝は、

宮城県だけでなく、東北地方各県のメディアも

大きく報じ、電子号外を出した地方紙もあるそうです。

 

他の地方と比べると、東北地方は各県の県境が

山脈などで(割と)くっきり分かれているので、

普段は東北というよりも「各県ごと」の意識が

強いように思えますが、今回のように「ここぞ」

という時には「東北人の悲願」という形で人々が

一枚岩になるという現象は、単独で地方を形成する

北海道を除けば、あまり見られないことだと思います。

 

だからこそ今回の「白河の関越え」は、

たとえ優勝旗がとっくの昔に津軽海峡を越えていたとしても、

(その時の優勝投手は東北の球団のエースになっていますね)

東北人の長年の「呪縛」を一つ解く、意義深いものなのです。

 

こんなことを書いている私も、他の地方圏での暮らしを

経験して、自分がいかに東北地方のあまり

良くないイメージのアイデンティティ

こじらせてきたのかを思い知った口でして、

東日本大震災で悪化した気さえします…)

つい長々と書いてしまいました。

 

改めて、仙台育英高の皆さま、関係者の皆さま、

おめでとうございます。

そして、ありがとうございます。