在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

作者の気持ち

10月19日、晴れ間はあれど風の冷たかった仙台です。

山形県との境にある作並では最低気温が1度台。

タイヤ交換もそろそろ考えなければと思っているうちに

年は暮れていきますね…。

 

今日は締切の迫っている仕事を何とか前進させつつ、

制作物に私なりの魂を込めるためのちょっとした

(それでいてシビアな)工夫に力を注ぎました。

 

日中に飛ばしすぎたのか、日が暮れる頃には

すっかりダウンし、あとはダラダラとしています。

短期集中型の人間とは言え、もう少し稼働時間を

延ばせればいいのですが…今後の課題です。

 

昨日の日記では、インプット不足を

課題に感じていると書きました。

 

毎日が課題だらけでどうしようもないな…

ということはさて置きます。

 

何か良質な日本語をゆっくりと読むのに

適したものは無いかと書店をうろついた結果、

見つけたのは高校生向けの教材でした。

 

 

私は物書きの風上にも置けないレベルで

小説を苦手としているのですが、

教科書ならば、さまざまな時代やジャンルを横断した

「短めの」作品を解説付きで堪能できることに

気づいたのです。

本文に引かれている無数の傍線と解説は

読みにくくもあるのですが、

今回の課題意識にはもってこいのチョイスでは?

と思っています。(実際、とても面白いです)

 

現代文は、主に理数系科目との対比で、

「作者の気持ちを考えてどうするの?」

などと揶揄されがちです。

 

ただ、

今になってみると、文章に込められた意味を

深く考え、登場人物の心情や物語の生まれた

背景に想像を巡らせるという行為の

豊かさと意義深さに気付かされます。

 

この本を目立つ所に平積みしてくださった、

紀伊國屋書店仙台店さん、

ありがたく読ませていただきますね。