在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

脱・正論の暴力

7月23日、激しい通り雨に驚かされましたが、もう晴れて暑い仙台です。

積み上がった仕事は思うように進まないまま、うだうだとしています。

 

歳の離れた友人から、込み入った内容のメールがありました。

このところ調子が思わしくないと聞いており、心配していたのですが、

精神的にもかなり参っているようでした。

 

どう返事を書いていいのか、迷うところです。

自分にも色々と思うところやそれなりの経験などもあり、

返事に書きたいことはいくつも浮かんできます。

ライターという仕事を選んでいるくらいなので、

論理的な返事をつらつらと書くことは難しくありません。

 

ただ、自分なりの答えを思うままに返すことが、

たとえロジカルな内容だったとしても、

悩んでいる友人のためになるとは思えませんでした。

 

私は、特にテキストでのやり取りの場で、

しばしば「正論の暴力」を振るいがちです。

最初のうちは相手のためを一生懸命考えているのですが、

そのうち「相手のことを思っている自分」の正しさに酔って、

自分の言いたいことを優先してしまうのだと思います。

結果的に長文でやり込める形となり、

相手を傷つけてコミュニケーション不全に陥るのです。

 

今回は何としても、いや今後他の一切の場面でも、

そんなコミュニケーションを取りたくないと思っています。

 

できる限り落ち着いて、返事を書きました。

私は少し、変われているのでしょうか。