在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

自分の居場所は自分で…

8月28日、雨上がりの空は

すっかり秋模様だった仙台です。

車のミラーにウマオイがしがみついており、

近くの植え込みに逃してから出かけました。

 

このところ、自分の至らなさや勿体なさを

感じさせられる出来事が続いています。

特に、会社でも団体でも、何かの組織に

属する時に、自分の長所だったはずの面が

いつの間にか短所のように働いてしまい、

良からぬ結果を招くことが多いようです。

 

…ようです、というと他人事みたいですが、

リアルタイムでは気づきにくいことで、

大体取り返しがつかない状態で気づきます。

 

これまでは自分の「社会性の無さ」として

理解し、自分は社会のどこでも生きていけない

…と人生を極端に悲観してきました。

 

ただ、その理解は少々乱暴でした。

一足とびに命の危機を煽るよりも先に、

やるべきことがありそうですね。

 

今、対策として考えているのは、

一つの組織(居場所)に執着しすぎないこと。

そして、対抗しうる自分の居場所を自分で

作っておくことです。

 

生きていれば人間関係は色々と起きますが、

そのたびに生存が脅かされては保ちません。

心に多少のダメージを受けたとしても、

「大丈夫な自分」をきちんと持っておくことが

大切なのではないかと思います。

 

これから仕事と並行して、

自分の居場所となりうるプロジェクトも

進めていこうと考えています。

少なくとも構想段階では楽しいので、

しばらくは大丈夫なのではないでしょうか。

もし具体化したらこのブログでも

ご報告できればと思います。