在仙ライター生きていく日記

「きれいごと」と言われても。

共通点:同郷の青年

7月20日フェーン現象で熱風が吹き込んでいる仙台です。

昨日は地元の生んだ大スターの決意表明会見があり、

私も会見を見ながら色々なことを考えさせられました。

 

同郷の年下の青年が、あらゆる重荷を背負い込みすぎているのを見ると

単純に切なくなり、「少しは荷物を下ろそうよ…」と思ってしまいます。

反面、自分はと言うと、彼と比べるまでもなく全てが甘いので、

「もう少し背負ったらどうだ」と反省するばかりです。

 

「努力」と「感謝」を何度も繰り返す彼とは大違い。

必要な努力からは逃げ続け、感謝も感謝で薄っぺらいのではないか、

とにかくあらゆることで「もっとできるのにできていないのでは?」と…。

 

と…ネガティブ思考の話をこの後も何行かダラダラと書いて、

午前中に記事を公開しました。

その後、仕事で目上の方とお話しする機会があり、

「あぁ、こんな調子じゃダメだな」と思い直し、

ここから先の内容を修正します。

 

聖人君子のような方の振る舞いを目の当たりにしてしまうと、

どうしても自らの「小人」ぶりにげんなりするのですが、

そんな気分のまま沈んでしまっては勿体ない気がします。

 

まだまだできそうならば、

もっと挑戦すればいいではないか?

もし今そんな余力がなくても、

とりあえず常にファイティングポーズだけは取って、

前に進む姿勢を貫いたほうがいいのではないか?

 

同郷の青年のようには決してなれませんが、

多少なりとも誰かのお役にたてますように。